火天の城 2009
時に1575年(天正3年)、長篠の戦いで甲斐の武田勢を破った織田信長は、翌1576年、その天下統一事業を象徴するかのごとき巨城を、琵琶湖を臨む安土の地に建築することを決意。設計及び現場の総棟梁として、熱田の宮大工・岡部又右衛門を総棟梁に任命する。「安土の山をまるごとひとつ、三年で城にせよ。」信長から直々の厳命を受け、後に行われた指図(図面)争いにおいても、金閣寺を建立した京の池上家、奈良の大仏殿建造を担った中井一門を破った又右衛門は、妻・田鶴や娘・凛、門下の大工たちの支えを得ながら、徐々に築城を進めていく。しかし、巨大な城を支えるためにはその主柱(大通し柱)に、これまでになく巨大な檜が必要であった。理想の木材は木曽上松にあると踏んだ又右衛門は、意を決して信長の敵方・武田勝頼の領国に危険を顧みず分け入っていく。一方、安土の作事場では新たな戦乱の暗雲が立ちこめ、又右衛門の帰還を待つ大工たちに戦地への出立を余儀なくさせる。